大人の授乳室|母乳・巨乳フェチの憩いのデータベースサイト

昔の思い出

母乳体験談|昔の思い出

2014年01月03日

著作・木村三郎

ずいぶん昔のこと、まだ私が4~5歳の頃のことです。若い巨大な乳房の女性と生まれたばかりの赤ん坊、それに寝たきりの猿みたいな爺さんの四人で暮らしていた頃のことです。乳が張って痛がる女性がいつも爺さんに乳を飲んでもらっていました。最初は私に吸って頂戴と言われ乳首を吸いましたが乳は張りすぎて出ませんでした。それと気恥ずかしさもあり熱心に乳房に吸い付くことはしませんでした。痛いくらい乳房を揉んで吸えば乳が出たかもしれません。今から思うともったいない話です。大きな魅力的な母乳で張り切った乳房なのです。困った若奥さんは爺さんの要求に答えお乳を吸ってもらい始めたのです。

子供の私からすると異様な光景でした。節くれだった老人の指が白く青筋のたった大きな乳房にくい込み噛み付くように母乳を吸うのです。もっとも歯が無いので歯茎で乳輪まで咬むようにしてました。最初はずいぶん痛そうでしたが母乳が多量に吸い出された女性はなんだかゆったりした表情になりました。赤ん坊はとっくに離乳したのに老人が亡くなるまで二年以上も母乳を飲ませつずけてました。朝昼夜老人が求めるまま、母乳を与えていました。子供の私が見ていてもその老人は乳房を吸うとき反対側の乳房も必ずブラウスから引き出し揉み目で楽しんでいるようでした。私も横目で形の崩される乳房をみてました。乳の吸い方はえげつなく下あごで乳房をおしつぶし吸引します。女性はうっとりした表情でいつもおじいちゃんおっぱいの吸い方上手ねえといいながら老人に豊満な乳房を与えて添い寝していました。乳を飲むのは赤ん坊と思っていた私は、老人も母乳を飲むことと、女性も自分の母乳で張り詰めた乳房を喜んで老人に飲ませることに、子供心にショックを受けました。今から60年も昔はおおらかだったのかも知れません田舎でしたし、授乳中の二人の会話とか今でも鮮明に思い出しますが興味があればまた話ます。

昔の思い出②
広告スペース

戦後まもない北海道の寒村で4~5歳の私が用心棒をしていた。と言えば変な話ですが、その家は主人が出稼ぎで常に不在、寝たきり老人と生まれたばかりの赤ん坊とその若い母親の四人暮らしです。電話も無い時代、おまけに隣の家まで五百メートルもあり何かあったとき子供の私でも走って連絡に行くなどできる、と言う事でその家に預けられました。農家で馬と乳牛と羊がいて食料不足の時代ですが牛乳だけは豊富に有りました。若奥さんは体格もよく巨大な乳房でしたが、毎日多量の牛乳を飲むのと野良仕事で体をよく使うので母乳の出が良かったのでしょう。爺さんはいつもお前の乳は出が良くていい乳だと言って吸い付いていたものです。昔は自宅で産婆さんが出産させていたのです。産後暫くして乳房が張りすぎ赤ん坊が飲むのが追いつかないのか乳房が痛く母乳が出なくなったみたいです。自分でタオルを蒸して豊満な乳房を揉んだり努力しても乳が出ません。痛みはだんだんひどくなるし困り果てた様子でした。そこで寝たきりの爺さんが脅かすのです。そんままにしていたら乳房を切らなきゃいかん様になる。わしが乳を吸いだしてやる。さすがに抵抗があり相当迷っていました。母乳でパンパンに張り詰めた乳房を老人の顔に近ずけては考え直したり、でも最後には乳房の痛みに負けたのか皺くちゃの歯の無い口に乳首を入れたのです。

乳が出るまで揉んだり吸ったり最初は相当痛かったのでしょう、悲鳴に似た声をあげ何度も老人の口から乳房を離していました。その度に老人が怒るのです。母乳を飲めなくてイラついていました。しかし痛みを我慢して三十分位老人に乳房をまかせていたら母乳が出始めたみたいです。女性は早く老人の口から自分の乳房を離したい様子でしたがかなり長時間乳房を預けた後、老人は名残惜しそうに口から乳首を離しました。私はなんだかほっとした気持ちでした。女性をいじめていると感じたのです。ところが次の日畑仕事の途中で服の上から乳房を押さえ痛い痛いといいつつ家に小走りで帰り赤ん坊に授乳し始めるがうまくいかない。大きな乳房をしまいもせず横に寝ている老人の方に向き直り頭の下に手を入れ抱きかかえるようにして授乳始めたのです。老人は豊満な胸に抱かれ狂喜したように乳房に噛み付き母乳をむさぼりだし、やせた首の喉仏を上下させながら母乳を飲み下していきました。こんな状況から以後二年以上、この若い女性の色白で母乳の張り詰めた魅力的な乳房が老人のものになったのです。大人になって分かったのですが、主人不在で寂しかったこともありセックスはできないけど授乳で乳房に対する愛撫は濃厚に受けるたのでは、と。

また歯の無い老人に別の食事を用意するかわりに、いつでも自分の胸を広げ豊な乳房から新鮮な母乳を飲ませれば食あたりもせず、手間もいらない。一日中寝たきりで可愛そうな老人に夜は腕枕で母乳を与えながらそのはげ頭を撫で会話してた記憶があります。会話といっても老人は乳房から口を離さないので一方的ですけど。口を離すのは母乳を吸い尽くした乳房から、吸ってる間中片方の乳房を充分に自分が手で揉みあげて乳の出を確保しておいた乳房に移る時だけ。うっとりしたやさしい表情で頭を撫で、おっぱいまだでてか、離乳したから私のおっぱいお爺ちゃんだけだから乳房が空になるまで吸い尽くして、すぐ張ってきますからね、もっと歯茎で咬むように強く吸い込んでみて頂戴。など優しい会話でした。老人の頭ほどある乳房には薄黒い八手の葉みたいな手がいつも張り付き揉みつずけていました。

昔の思い出③
広告スペース

昔は女性の乳房や母乳に対しての関心が今ほどは無かった様に思います。と言うのは一人の女性が4~5人位子供を生み、人口栄養が未発達の時代母乳育児は必須でした。だから人前でも子供が欲しがれば乳房を出し授乳するのが普通で女性も余り抵抗が無かったし、男どもも日常的に見慣れていたはずです。現代の人は残念ですね、これも少子化の弊害か。母乳は食料の一種ぐらいの感覚と言えば少しオーバーかもしれないが。寝たきりの爺さんがおっぱいを欲しがれば飲ませてあげるぐらいのことは多少の抵抗はあっても、ままあったと思います、田舎だったからか。スタインベックの小説 怒りの葡萄 の最後の部分で、腹を空かせて動けなくなった老人に流産し母乳で張り詰めた乳房を与え優しく授乳するシーンがあり母性本能のすごさが分かります。その女性が余りにも優しく老人に授乳するので子供の私は嫉妬心から豊満な乳房に吸い付いている頭を横から叩いた時、女性に叱られました。お爺ちゃんは一日中寝たきりでどこへも行けないし、可哀想でしょ、おまけに歯がないから普通の食事ができないので、こうしてお乳を飲ませてあげないとね、と。しかしその巨大な乳房から出る母乳の量は半端でないらしい。老人の胃袋はいつも母乳だけで充分満足で、ある時二人はどの位の母乳が出るのか手で搾ってみようと言う事になりました。布団を重ねて老人の上体を起こしてあげ女性が上半身裸になり乳房を搾りやすいように上体を老人に向け、自分で手にどんぶり鉢を用意しました。片方の乳房だけを搾るのですが最初は乳首からあちこちに飛び散り旨くいかない、がそのうち慣れてきてジュージューと音を立て真っ白な母乳が溜まりだした。老人は乳房を搾りあげ乳の出を楽しんでいたが女性の方は少し痛い様子でやっぱり口で吸う方がいいと訴えてました。暫くすると片方の乳房だけでどんぶり鉢が一杯になりこぼれそうになるのでやめ、老人がそれを飲み干しました。これじゃ腹が一杯になるはずじゃ、だけど乳に吸い付いて飲む方がいいと言い乳輪ごと乳首を口に入れその後暫く飲みつずけたのです。個人差もあろうけど、いったい母乳を大人が吸いつずけるとどのくら出るのか子供の私には皆目分からなかったが。今も分からないけど。

 

禁断介護 大堀香奈

広告スペース
関連BBS

[お気軽にご意見・ご感想等どうぞ]

[素敵な体験談がありましたらどうぞ]

[写真・イラストを募集中]

幼稚園外での行き過ぎたパパ友付き合い 上原ひなの
お母さん.com
【Copyright (c) 2005-2013 Tokumori Matsuya】